新たな問題が生まれるのは、社会が豊かになった証拠
「避難所でアレルギー食が足りなくて困った」という問題をニュース番組で取り上げていた。
備蓄食料の盲点
食物アレルギーをもつ子どもの親は、相当大変だったと思う。
他の人から見たら”食料”であっても、アレルギー物質を含む食材は、その人にとっては”食料”ではないのだから。
アレルギーのある子の親は当然、自己防衛として自ら備蓄食料を用意しているとは思うけど、大規模災害の時には、それがどれだけの期間続くかわからないから、やはり社会全体の仕組みとしてバックアップを持っておくことは大切だ。
報道のあり方
しかし、例によってテレビでは、
「A市はちゃんと準備をしているのに、隣のB市では対応できてない」
と煽り、B市の担当者に質問を投げかける。
これで、B市が”悪者”に見えるという構図の完成。
テレビで本当に伝えたかったのって、何なんだろう…とモヤモヤ。
どうしてマスコミは良い方を紹介しないで、対応の遅れている方に焦点を合わせるんだろう。
同じ問題を伝えるにしても、A市がどうやって準備を整えたかを詳しく取材して、紹介すれば、B市だって参考にできるじゃないか。
悪者をあぶり出して、世間にさらした方が、視聴者の気持ちがスカッとするからだろうか。
水戸黄門だって、悪者がいて、それを成敗するから気持ちが良いんだもんね。
もし、悪者が登場せず、黄門様が平和に諸国巡りをして、助さん格さんとおいしもの食べて、由美かおるが名湯に入って、地元の人たちの温かい人情にふれ、「あ〜今回も良い旅だった」って話だったら、たしかに見る人減るよね。
あ!もしかしたら、平和な旅だと用心棒が必要ないから、助さん格さんの出番がなくなるかも!それは一大事じゃ。
社会は豊かになっている
さて、話を戻します。
避難所にアレルギー対応食がない
という問題はいつ頃から顕在化したのでしょう。
昔はアレルギー対応の食料を用意してたのに、今は無くなった。
って話ではないはず。
今、対応できていないところは、昔も対応できてなかった。
これって、社会が豊かになっている証拠じゃない?と僕は思うわけです。
社会が豊かになるにつれ、問題の性質が変わってくる。
1 災害時には食べ物を調達できない
↓
2 食べ物を備蓄しておいても数が足りなくなる
↓
3 食べ物を備蓄しておく場所が足りなくなる
↓
4 備蓄食料の賞味期限が切れるのがもったいない
↓
5 災害時の非常食は冷たく味気ない
以前「あったらいいな」と思っていたものが、「なければならない」に変化するのは、その社会が豊かになった証拠。
「なければならない」モノがないと、人は困るけど、その時々で知恵を絞り、助け合って何とかしてきた。
豊かな社会って、切り捨てられる人が減っていくってことなんだ。
朝日 南